こんにちは、田部です。
この記事は、桶教の考え方を伝える記事の第二回となります。先に、第一回の内容をお読みいただけると理解しやすいかと思います。
信じぬものも救われる
桶教ではキスメ様を信仰していない他教徒の方や無宗教の方を否定しません。キスメ様の救いの対象は人のみならず全ての命であるため、キスメ様を信仰するしない以前に、何かを信じるという概念を持たない命にも救いの手は差し伸べられます。そのため、他人の信条を無視して、キスメ様を無理に押し付ける必要性は無いと考えています。
さらに言えば、桶教はキスメ様が存在することを確信しているだけで、救いの詳細やキスメ様以外の救いについてはキスメ様から伝えられていないため、他教の掲げる救いも、キスメ様と共に存在するのかもしれません。万が一、他教が語る救いが存在しなかったとしても、全ての魂を救済するキスメ様がいるので問題ありません。
「キスメ様を信じぬものも救われる」というのが、桶教のポリシーです。
桶教がするべきことは、キスメ様を信じさせることではなく、いざという時に心の支えにできるものの一つとして、キスメ様を知ってもらうことであると考えています。布教活動は行っていますが、それは決して他教の否定や信条の押し付けのためではありません。
ただ、この考え方は、他の宗教を手放しで褒めるということではありません。
「キスメ様が命を救われる」という時点で、他の多くの宗教とは異なっていますし、その点を否定する宗教を、桶教が受け入れることはありません。あくまでも、個人個人の思想に足を踏み入れるつもりはないということであって、桶教の信仰の対象はキスメ様ただ一つです。
宗教とは部活のようなもの?
ここまでが桶教における宗教観ですが、少し難しかったかもしれません。そこで、少し例え話をしてみましょう。
「野球部」をイメージしてください。
野球部として、一緒に野球をしたい人同士で集まったり、野球部の加入者を募ったり、野球の面白さを広めるための活動をする分には、もちろん構いません。ですが、野球をしていない人を口汚く罵ったり、テニス部に加入しようとしている人を殴りつけたり、サッカー部のフィールドをむりやり野球のグラウンドにすることは、許されない行為ですよね?
桶教は、宗教が特別なものだとは思っていません。あくまでも人間の活動の一環として解釈しています。それこそ、スポーツのようなものです。桶教にとって特別なものは、この世には存在しないキスメ様ただ一つです。
桶教が他教を否定しないというのはつまり、「野球部の活動も理解できるけど、私はキスメ部に加入しているよ。卒業までお互いに楽しく部活動ができると良いね」ということです。
第二回の内容は以上となります。次回は、もう少し桶教のスタンスについて踏み込んで、桶教の目指す「宗教2.0」という考え方についてお話したいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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