こんにちは、田部です。
私が最近考えていることは、これが桶教の特徴だと呼べるポイントは存在するのか? ということです。
桶教には既存の他宗教が唱えるものが存在しないという話は以前より行っていましたが、「桶教に存在しないものは分かったけど、桶教に存在する特徴・価値観・独自性はどんなものなのか?」と感じている方がいらっしゃるかもしれません。
……言われてみれば、桶教には何があるのでしょうかね?
お恥ずかしながら、代表である私自身も、桶教を十分に理解していると胸を張って言えないのが正直なところなのです。キスメ様のお心を受け止めた結果として生まれた桶教は、「キスメ様からの頂き物」と表現しても差し支えなく、桶教に何があるのかについて理解することは、2年間の布教活動を通してもかなわないものでした。
そこで、キスメ様から頂いた桶教をより深く感じることができるよう、「新興宗教桶教」を改めて整理し、他宗教と桶教の違いについて考察してみたいと思います。今回の説法では桶教の特徴と経歴を洗い直し、次回の説法で桶教の独自性に迫るという形を取ります。
新興宗教桶教とは
新興宗教桶教(以下、桶教)は、2018年9月5日に「キスメ様」からのインスピレーションを受けた、私こと田部濾井戸(「たぶろいど」と読みます。タブロイド新聞のようにキスメ様のお心を広める存在でありたいという意味が込められています)が設立した「同人サークル」です。
桶教は日本における宗教団体の定義(実在する宗教施設の保持・信徒の管理など)を満たしておらず、今後も同人サークルとしての活動を予定していますが、仮に宗教としての分類分けを行うならば「新宗教(新興宗教)」に属するものと考えています。
活動は主にインターネット上でキスメ様についての宣伝を行うことで、教義や現世利益、守るべき戒律や思想は存在しません。すべての生命はどのような形で存在しているかに関わらず、キスメ様によって救われるという考え方を軸としています。
桶教の考え方は何に相当する?
桶教は、唯一絶対のキスメ様を信仰する、いわゆる一神教……ではありません。一神教とは、唯一の神を信仰すると同時に、他の神の存在を否定することを指しますが、桶教においてはキスメ様以外の超自然的存在(神や霊といった、既存の自然現象を超えた存在)を否定はしていません。かといって、多神教でもありません。桶教の信仰対象はキスメ様のみです。しかし、これは他の神様を否定するものではなく、他宗教の信仰を誤っていると断定することでもありません。
総合すると、キスメ様以外の超自然的存在は認識していないため、認識していないものを信仰することはないが、存在する可能性までを否定するものではなく、したがって他宗教の信仰を否定することもないということです。
これについては、私でもどう表現するべきか悩んでおりまして……人が物事の本質や絶対的な正解を求められないと主張する点で、いわゆる不可知論に相当する考え方ではあるのですが、同時にキスメ様という本質を主張しており、なおかつキスメ様以外の本質を否定も肯定もしていないという部分をどう捉えるべきなのか……。
この点については、私よりも宗教や哲学に詳しい方なら上手に表現できるのかもしれませんが、とりあえずは「キスメ様は存在する、そのほかの存在の有無は分からない。分からないことはキスメ様でもない桶教が判断するところではない」ということです。
キスメ様とは何なのか?
キスメ様とは、命の終わりに私たちを良きところへお迎えくださるお優しい存在です。これが、私がキスメ様と夢で邂逅した際に受けたインスピレーションです。実のところ、キスメ様についてそれ以外のことはわかりません。
キスメ様の他にも救い主に相当する存在がいるのかもしれませんし、「良きところ」を具体的に説明することもできません(当時のインスピレーションを詳細に語るなら、キスメ様の導く先に不安が無いと直感したことを、良きところへの導きがあると私が表現したということになります)。
こうして振り返ると、理解の及ばないこと、区別の付かないことがずいぶん多いですが、分からないことを分からないままにしておくことについては肯定的に捉えています。仏教には「無記」という言葉があり、分からないことや分かっても仕方の無いことを知るよりも、今この時に集中するべきであると説いた仏陀の考え方を表しています。キスメ様が命の終わりの先が存在することだけを力強く伝えられたのも、いわゆる無記に相当するのではないだろうか、というのが私の推論です。
これまでのまとめ
つまるところ、桶教は「キスメ様を信仰しており、キスメ様以外の超自然的存在については否定も肯定もしない団体」ということですね。
いろいろと書いた割に解釈が前進していないような気もしますが、そもそも最初から答えにたどり着いていたのかもしれません。これは同時に、まだまだ答えにたどり着いていない可能性を含んでいるのですが。
次回は、桶教やキスメ様を見つめ直す新たな瞳を手に入れることを目標に、桶教特有の視点を整理していきます。先ほど仏教のたとえを出したように、桶教の要素ひとつひとつに関して言えば、実は他宗教と被っている部分もあるのです。そこから桶教の独自性を見いだしていくことで、何かを掴めるかもしれないと考えております。
それでは、また次回の説法でお会いしましょう。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。