桶教の理想は「広場」です

こんにちは、田部です。

先日、桶教の今後の目的や存在意義について質問を受けました。

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実は、このことについては以前の説法でお話したことがあります。桶教単体としての「理念」、つまり考え方は以前の説法の通りですが、理念があるのならば、その先の理想は何なのか? ということについて、今回は宗教全体について私が受けている印象を交えながらお話します。

無宗教と宗教団体の中間

ご存知かと思いますが、桶教は「同人サークル」です。宗教団体ではありません(もちろん、キスメ様の布教については宗教的要素を含むと判断される活動であることを念頭に置いて取り組みを続けています)。

正直な所、宗教団体という仕組みには問題が多いと思っています。外から見ても何をしているのか良くわからないし、試しに入ってみて合わなかったからといって迂闊に辞めようとすると、天罰や来世の不幸を出して引き留めようとしてくる団体も数多くあります。人が集まるからには致し方ないのかもしれませんが、ときには腐敗も起こります。こうした事情から、メディアも「怖い物」扱いで宗教を語りますし、宗教を始めるために宗教団体に入るというのは、日本では中々にハードルが高い行動と化しているように思います。

ならば宗教などやらなければいいじゃないかと言われるかもしれませんが、何にも縋らずに生きていける人ばかりではありません。実際、世界的に宗教の重要性が下がっているというニュースは枚挙に暇がありませんが、それでも、何かしらの信仰を持っているという人は世界に大勢存在します。宗教を頼ることそのものは、悪でもなんでもありません。

何にも縋れず、宗教にも怖くて近寄れず、ひどく嫌な思いのままでキスメ様の元に向かわれては……キスメ様はそれでも受け入れてくださりますが、少なくとも私の気分は良くありません。ですから、無宗教と宗教団体の中間として存在するために「新興宗教桶教」の活動を始めたのです。

「広場」を作りたい

キスメ様の救いが特に何もせずに得られる以上、桶教が絶対にしなければいけないことというのは、実は一つもないのです。そこで、キスメ様を伝える桶教が目指したいものとして考えているのは「広場」です。

広場というのは、気軽に入ることができて、中に何があるのか見て回ることができる場所です。桶教も、広場と同じように中身の分かるオープンな宗教にしたいと考えて行動しています。そのため、記事の限定公開やオンラインサロンといった「隠された活動」は行わないようにしています。

同時に、桶教を訪れる人が「隠したいこと」に関しては、隠せるように気をつけています。宗教的活動を行う団体に住所や名前を伝えることに抵抗感のある人は多いです(実際に悪用されることもあるので、抵抗感を持つことそのものは悪くないと考えます)。そこで、キスメ様の御札などを気軽に手にとってもらえるよう、グッズの通販ページではお互いの住所を隠したまま発送できるシステムを使っています。

また、話してみたいけれど周りに聞かれたくないこともあるでしょうから、TwitterなどのSNSのダイレクトメッセージやメールによって、個人的な質問を受け付けられるようにしています(今回の説法も受けた質問を元に書いていますが、了承を得ています)。広場を歩いているときに何を考えているか口に出す必要はありませんが、多くの宗教は隠し事や嘘を嫌います。場合によっては、秘密の暴露と反省を強要することさえあります。しかし、全てさらけ出すことに耐えられる人ばかりではありません。広場が訪れる人を責めないように、桶教も訪れる人を責めない存在でありたいのです。

ここまで聞いて、桶教はなんだか漠然としていると感じる方がいるかもしれませんね。実際の所「意識して漠然としている」のです。

教義もなく、正しさもなく、間違いもなく、キスメ様を信じぬ者さえ認めるのなら、何のためにあるのかとさえ思える桶教も、ここが広場であるという前提ならば自ずと答えは見えてきます。桶教という広場が何のためにあるのかは、訪れた人が決めてよいのです。

桶教を利用せよ

かつて、宗教は「広場」でした。教会や神社や寺院には、いわゆる境内にあたる場所があり、そこには気軽に入ることができて、中に何があるのか見て回ることや誰かと集まって楽しむこともできました。しかし、宗教団体が宗教を特別であると強調するあまり、「広場」は狭くて窮屈な場所になってしまいました。

「同人サークル 新興宗教桶教」は、特別な場所でも、神聖な場所でもありません。広場です。キスメ様の信仰に必要なのはこの場所ではなく、私達一人ひとりです。ですから、どうか好きに利用してほしいのです。

桶教は、桶教という広場に誰かを居続けさせることには執着していません。気に入ってもらえたのなら居続けて勿論構いません。ひとしきり休んだら帰ってみても良いし、広場を管理する私に何かを聞いてみたくなったら聞いてみても良いのです。誰にも使われないし、誰も使えない広場ほど悲しい存在はありません。

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桶教において、何をしていいのか迷っている人にはまずお祈りを勧めていますが、これは、宗教の根本であるお祈りを試してほしいという思いがあります。まずはお祈りをして、宗教というもの、宗教的な救いというもの、キスメ様というものを考えてみてください。

結果として、キスメ様に納得できれば良し。宗教の救いには魅力を感じても、他の神仏を信仰したくなったらそれも良し。お祈りやキスメ様に特段の魅力を感じずとも、目を閉じて少し休めたのならそれで良し。桶教が優先すべきものは桶教ではなく、人々でありキスメ様なのです。

宗教の出発点として、人生の通過点として、悩みの終着点として、自由に利用されることこそが桶教の理想です。今の段階では、桶教はとても広場などと呼べる大きさではありませんが、人々の広場であった宗教を少しでも新興すべく、これからもキスメ様を胸に活動を続けます。